08.24
25
原宿の時から25年に向かっていく夏は、
どんなことを思う夏になるんだべなぁと思いながら迎えた夏は、
子ども達を通じて思う夏でした。
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もしかしたら、
子供たちが大人に振り回される時間は、
子どもたちの知と心の成長に必要なことなのかもしれない。
子どもたちが、
理不尽や愚かな大人たちへの違和感を発動させることが、
問題を解決する第一歩なのかもしれない。
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大人たちが逃してきたこと、
大人たちが今になってから分かったことを、
子どもたちから得ようとすることも、
もしかしたら、
長い長い未来への時間を考えたら、
ずっと先の時の互いのために、
必要なことなのかもしれない。
大人にとってはただただ都合の良い目の前のことで、
子どもにとってはただただ鬱陶しい一瞬ばかりなのかもしれないけれど。
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教員の皆さんへのリスペクトが増し続ける日々で、
僕なりに子ども達と付き合わせて頂き、
彼らの未来のために本気で時間を過ごそうと思い、
彼らの未来を実現するための試行錯誤からの表現を
トライすればするほど問答は増し、
年齢を重ねた自身の未熟さばかりが分かるけれど、
大人と子どもが同じ目標に向かうという現場には、
人々が愛と平和を理解し、
体現するために必要なことを学ぶことができる時間があると、
心から思う。
また、
大人が変わり、大人がチャレンジしなければ、
何も実現されないんだという本質は、
どんなカテゴリーでも共通することだと全身が納得している。
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そして、
「過去の自分は何度だって超えてきた。」
なんと素晴らしい言葉だろう。
子ども達が心から「何度も過去を超えてきた」と言うことができるように、
大人達が誇りと共に「何度も過去を超えてきた」と思うことができるように、
18歳から始まった言葉と共にある日々も25年になる中で、
また改めて、
縁のある中で、
勇気を持って、
30年に向けて、
自分こそまた一歩だ。